至仏山は日本百名山にも数えられている山。しかし、単なる百名山巡りの感覚で登るには余りに惜しい。是非ともその希少性を知った上で登っていただきたく思います。
至仏山を語る上で忘れてはならない言葉があります。『至仏山はよき山である。真に心して登るべき山である。悠久にゆき時の中に、山の心と詩を聞くべき山である』 これは、北海道大学の館脇操博士が初めて至仏山に登った時、言い残した言葉。
みなさんが至仏山に登れば、この言葉の意味の深さを実感できるでしょう。
(1)名前の由来
明治中頃、この地域の地形図を作成するために来ていた陸軍測量部の役人が至仏山を指して「あれは何と言うのだ」と聞いたところ、土地の人は役人に「あれは渋沢(しぶっつあ)です」と答えた。渋沢は、現在の登山道のことで蛇紋岩が風化して、かきの渋のように茶褐色をしているので、そのように呼んでいたが、これを測量部の役人は「難しい山だな」といいながら、「至仏山」と記入してしまったのが始まりのよう。
いわれはどうあれ、「至る仏の山」とはいかにも神秘性を帯びていて、漢字に則った解釈の方が個人的には好きです。もしかしたら、この役人も、一度至仏山に登って花の魅力に取りつかれてしまったのではないだろうか。もしそうだとしたら、この漢字をあてた理由もうなずけます。
隣の笠ヶ岳は、スゲ笠のように円錐形の山に見えるからで、笠ヶ岳の南稜線上にある片藤沼は、片品村と藤原地区の境界にあることから、両者の頭文字をとって名付けられました。
(2)成立、地形、地質等
尾瀬ヶ原の西に位置する標高2228mの山で、原から見ると比較的なだらかな山の印象を受けますが、反対の西面は切り立った崖となっています。このことから、隆起も東から西に向かって進んでいったものと考えられます。見た目はなだらかでも実際の東面登山道はかなりの急傾斜が連続するので覚悟してください。
尾瀬ヶ原から向かって左側に小至仏山の高まりがあり、さらに南側には笠ヶ岳(2058m)が至仏山塊を成しています。ちなみに谷川岳(天神平、高倉山)、武尊山にも蛇紋岩は分布しております。
至仏山の形成過程
蛇紋岩形成…古生代末〜中生代初期(2億3千万年前)にカンラン岩、ハンレイ岩等が海水と反応し蛇紋石や緑泥石等に変化。これらは、はるばるハワイ沖からやってきたものだそうです。
蛇紋岩貫入…ジュラ期中期(1億7700万年〜1億4300万年前)以前に至仏山の基盤である花崗岩に蛇紋岩が貫入。
至仏山形成…中生代末期(約1億年前)に隆起してきたとされています。
蛇紋岩による影響
蛇紋石はMg3Si2O5(OH)4{ケイ酸塩鉱物} SiO2含有量45%以下のためMgなど金属成分の含有量が多くなっています。このMgは植物が根から水を吸収する働きを鈍らせるため蛇紋岩変形植物、蛇紋岩残存植物という珍しい植物が至仏山に生育しているのです。また、水に溶けて電離し水酸化物イオン(OH)‐放出するため至仏山塊の水はph8以上のアルカリ度を示します。以上は蛇紋石に注目しての説明。
(参考)
よく蛇紋岩について「超塩基性岩」なる用語が出ますが、化学用語と誤認しやすいため岩石学においては現在使用されない傾向にあるそうです。そのため当サイト上「超塩基性岩」なる用語は使用しておりません。やはり誤認が生じやすいので。
本来蛇紋岩は暗緑〜黄緑色をしておりますが、実際至仏山で見ると茶褐色に見えます。これは風化しているため。ただ、登山者が頻繁に踏み付ける蛇紋岩は本来の青灰色地に緑色の紋様が入っています。いづれにしろ歩いていて非常に滑り易い岩盤だと感じたら、蛇紋岩地帯に入ったと考えてください。標高的には1700m以上から蛇紋岩が露出し、鳩待峠から登った場合原見岩(大石)より先の歩行は注意しなければなりません。それより下は花崗岩で形成されているので東面登山道の場合、スリップを感じなくなったらそこが花崗岩地帯であると思って間違いないでしょう。ただ、現在はその辺りに片品村からの石を埋設しているので、実感できないかもしれません。
先程谷川岳にも蛇紋岩が分布すると書きましたが、至仏山同様花崗岩も分布しています。ただ、異なるのは山頂周辺にも花崗岩や接触変成作用を受けてできたホルンフェルスがあるということ。谷川岳でのロッククライミングの難しさは性質の異なる蛇紋岩や花崗岩、ホルンフェルスなどがあるため。滑落事故が多いのは主に岩盤の脆い花崗岩地帯でのことだそうです。
(3)気象
3m以上の積雪があり、日本海型の気候地域です。そのため7月に入っても残雪があります。
(1)鳩待峠〜至仏山
下りに自信のない方、時間に制約のある方は往復することをお勧めします。下手に欲張って山ノ鼻まで下ろうとすると、蛇紋岩の下りで膝を痛める可能性が高いですから。もし、山ノ鼻も見たいのでしたら鳩待峠→山ノ鼻→至仏山→鳩待峠というコースをとるようにしてください。東面ルートは膝に負担がかかるので、足を引きずる人を多く見かけますしガイドも一番嫌うコースですから…。
登山口には入山者カードがありますので、まずここで記入してから登りましょう。とくに残雪期のゴールデンウイークは、オヤマ沢田代から先はフラットなため遭難者が最も集中します。7月以降の登山でもガスが発生すれば迷いやすいので注意が必要。
登山口から先は緩やかな登りのブナ林内を歩いて行くことになります。この辺りはウソがテリトリーとしているせいか、一緒に200〜300mくらいついてきてくれることがあります。雨が降ると2ケ所ほど泥田状態になる場所がありますが、現在は木が置いてあるので当分問題ないかもしれません。
2kmの標識のある地点で50分程経っているので、ここで休憩をとるのもいいでしょう。これ以降、階段状の木道が現れ歩きやすくなっていますが、あくまでこの木道は土砂流失防止のため。歩幅のあわない方もいらっしゃるかもしれませんが極力木道上を歩いてください。
次第に視界が開けてくると、左手に日光連山の日光白根山、そして皇海山などが見られホっと一安心するところです。さらにササ原の木道上を進んでいくと、左手に上州武尊山、正面には笠ヶ岳が見えてきます。再び、オオシラビソ林に入り歩き続けると大きな岩のある湿原が現れてきます。尾瀬ヶ原の眺めもいいですし、高山植物もかなり咲いていますので休憩するには丁度いいのではないでしょうか。この辺りからクモイイカリソウや高山に生息するベニヒカゲもあらわれてきます。「ガ」なんかじゃありませんので、叩きつけないでくださいね。階段を上がった所には、さっそく蛇紋岩のお出ましです。どれだけ滑るのか試してみましょう。その後再び樹林帯に入り登りもきつくなってくるので周りを見渡す余裕もなくなるでしょうが、右手の枯沢の要所要所を覗いてみてください。きっとシラネアオイの群落を見つけることができるでしょう。
左からチョロチョロ流れる沢を横切れば、オヤマ沢田代に到着です。ここも以前はかなり裸地化がひどかったのですが、隅の方から土ごと移植したおかげで緑化に成功しました。よくみると、長方形のブロック跡が整然と並んでいるはずです。
笠ヶ岳分岐を通り越せば、小至仏手前のテラスに到着。ここから先はお花畑がひたすら続き、オゼソウやホソバヒナウスユキソウ、シブツアサツキなど至仏特有の花が見られます。
ひたすら続く階段の木道を進むと、大きな岩が出てきます。岩を右に巻いていく道を通るとかなり滑るはずです。以後、蛇紋岩がどんどん出てきますので、雨天時などは特に注意してください。ほとんどスケートリンク場と化しますから。
小至仏山以降、至仏山の荒々しい西面が現れ、東面の穏やかさと全く異なる姿にビックリするのではないでしょうか。この辺りからナラ俣ダムや谷川岳も見え始め、笠ヶ岳のきれいな三角錐の姿が現れてきます。至仏山までは、ひたすら尾根の西面を歩くことになりますが、下からの風の吹き上げで帽子が飛ばされないよう気をつけてください。
「ようやく山頂だ!」と期待させつつ山頂でない小山に何度か裏切られながら歩き続けると、いつの間にか本当の至仏山頂上到着。お疲れ様でした。
(2)至仏山〜山ノ鼻
(3)笠ヶ岳
尾瀬ヶ原の中間に位置する中田代から至仏山と燧ヶ岳を眺めると、至仏山の方が燧ヶ岳に比べて極端に森林限界が低いのがわかります。これは至仏山を覆う蛇紋岩が植物の生育に影響を与えるため。
なぜ、蛇紋岩が植物の生育に悪影響を与えるのかについては先ほど説明しましたが、やはりキーワードは蛇紋岩に含まれるマグネシウムなどの金属成分。
至仏山にはこれら金属成分に耐えられる植物が多く生育しています。大きく蛇紋岩変形植物と蛇紋岩残存植物に分けられ、蛇紋岩変形植物とは周辺山々から至仏山に侵入した植物が蛇紋岩地に適応して変形したものをいいます。蛇紋岩残存植物とは氷河期が終わって南方系植物が侵入してくるも蛇紋岩地に入って来られず生育し続けることのできた北方系植物をさします。
また、至仏山周辺の山には蛇紋岩変形植物の母種が見られるのも興味深いところです。
(1)植生
a日本海型の植生
山地帯(標高1500〜1600m付近まで)は肥沃な山腹となっており、マルバマンサク〜ブナ群集(アスナロ亜群集)、岩稜地ではアカミノイヌツゲ〜クロベ群集が分布しています。
亜高山帯はオオシラビソ群集、ミヤマナラ群集が分布しています。
b蛇紋岩地の植生
亜高山帯の岩地ではハイマツ〜クロベ矮小低木群落(通常より背丈が低くなった植物の群落)が分布しています。
高山帯の岩地ではコケモモ〜ハイマツ群集、雪田地帯ではオゼソウ群集、蛇紋岩礫地ではホソバヒナウスユキソウ群集、マルバイワシモツケ群落が分布しています。
(2)植物相
a蛇紋岩変形植物()内は母種
ホソバヒナウスユキソウ(ミヤマウスユキソウ)、クモイイカリソウ(キバナイカリソウ)、シブツアサツキ(シロウマアサツキ)、ジョウシュウアズマギク(ミヤマアズマギク)、ジョウエツキバナノコマノツメ(キバナノコマノツメ)、マルバヘビノボラズ(ヒロハヘビノボラズ)など。
b蛇紋岩残存植物
北方系のものが多く、オゼソウ、タカネバラ、ヒメシャクナゲ、キンロバイ、カトウハコベ、タカネシオガマ、コバノツメクサ、タカネトウウチソウ、タカネクロスゲなど。また、笠ヶ岳にはカンチコウゾリナも生育しております。
c日本海要素の植物
シラネアオイ、サンカヨウ、ハクサンコザクラ、ヨツバシオガマ、ミヤマシシガシラ、チシマザサなど。
d原産植物
上と重複するものもありますが、オゼソウ、オゼヌマアザミ、シブツアサアツキ、ジョウシュウオニアザミ、ジョウシュウアズマギク、ジョウエツキバナノコマノツメ、ホソバヒナウスユキソウ、クモイイカリソウ、マルバヘビノボラズ、ウラベニダイモンジソウ、チシマウスバスミレ、ムラサキタカネアオヤギソウなど。
(1)荒廃の経緯
a荒廃の始まり
昭和30年代の第一次登山ブーム、昭和55年頃からの集団登山が増えて急激に登山道沿いの雪田群落の踏み荒らしが進行してしまいました。そのため、雪田地帯に群落するオゼソウやタカネクロスゲ、ユキワリソウ、シブツアサツキなど貴重な蛇紋岩植物が失われてしまいました。
集団登山は主に修学旅行生によるもので、その当時は登山道をはずれ好き勝手に歩いていたそうです。
b南米大陸の出現
それゆえ至仏山東面登山道に7ケ所の巨大な岩礫裸地ができてしまい、最上部は岩なだれ等の危険がありました。最も裸地化が進行している場所は尾瀬ヶ原からも赤褐色にクッキリと表れています。その形状から南米大陸などと名付けられていますが、早く日本列島レベルに回復してもらいたいものです。
c小至仏の状況
至仏山東面登山道だけでなく、小至仏の東南面、至仏山山頂南面でも踏み荒らしが進行。
d東面登山道の閉鎖
このため平成元年より東面登山道が閉鎖されました。その間、植生復元作業や登山道整備がなされ平成9年より開通いたしましたが、裸地化の現状は何ら変わっていません。変わった点は木道が真新しくなっただけ。岩盤上に咲くユキワリソウが、僅かな表土と一緒に崩れかけている痛々しい状況は、今も続いております。このユキワリソウが、一体いつまでもつのだろうか…。
(2)今までの対策及び現況
a至仏山東面と山頂南面
至仏山東面、至仏山山頂南面については登山道整備の対策がなされており、表土の流失を防止するためと水の流れを生じさせないようにするため、露出した岩盤上に土留め用のカラマツの丸太や蛇カゴを敷いています。しかし、せっかく作っても、30度近い傾斜が連続してい東面では重力と雪圧に負けてしまい、表土流失は避けられないようです。植生回復については、下から表土を運搬して岩礫地に植物の種や苗を植え、泥炭植生は、自然の回復を待つようにしています。主な種はジョウシュウオニアザミ、ヤチカワズスゲ、クモマニガナ、ミヤマナラ、ミノボロスゲなど。
ここで、移植等について守らなければならない原則があります。
蛇紋岩地であることから、下から土砂等を上げるときは蛇紋岩に限ること。残念ながら蛇カゴについては片品村の石を入れていることです。また、岩礫地になってしまったことから代償植生を認め、その種で緑化していく。今まで実験してきた種はジョウシュウオニアザミ、ヤチカワズスゲ、ヌマガヤ、ミノボロスゲなどですが、ヤマヌカボ、イワシモツケ、クロベ、ハイマツ等の種も試みられています。
以上についての費用は3億円以上かかっております。
b小至仏の木道について
小至仏東面のオオサクラソウなどが生える雪田植生地帯を通る登山道は、当時の提案で小至仏山山頂から稜線通しの提案がなされていました。しかし、関係者の連絡不十分等で、その群落の上部に位置するオゼソウ群落などのある雪田植生地帯に整備されてしまったのです。つまり、旧道と稜線のど真ん中の重要な植物群落地帯を木道が突っ切ってしまいました。とくに小至仏手前のテラスとその少し先にある岩への迂回路がオゼソウの群落を一気に減少させてしまったのは非常に残念。さらに工事中に無秩序に木道を置いたため、今でも裸地が残ったままです。
至仏山に頻繁に登ることのないみなさんにとって、至仏山の登山道整備は理にかなったものであると思うでしょう。しかし、現実の木道整備は相当ずさんなのです。これは、至仏山に限らず上州武尊山の花咲湿原でなされた木道敷設や、山ノ鼻での浄化槽の排水流路の連絡不十分による敷設ミスなど挙げればきりがありません。なぜ、これほどいいかげんな工事がなされるのか?発注者が環境への配慮を怠っていること、現場の植生と地理を熟知している工事関係者がいないこと、木道敷設による最終的な責任の所在が不明確であることなど挙げればきりがありません。結局は日本独特の縦割り組織が生み出した不幸でしょう。なぜこうも情報のフラット化による共有が行えないのか?このような旧態以前のことを2000年に突入してもしているようじゃ、環境保護という戦略目的にかなう機動的な活動は行えないのではないだろうか。
c至仏山東面登山道閉鎖による弊害
至仏山東面登山道の閉鎖により、皮肉にも鳩待峠〜至仏山の往復を増大させ二重の負荷が登山道にかかってしまいました。当初から不安視されていましたが、予想を越える登山道の荒廃が進んでしまったのです。
d今なお表土流失が進行しています
雪解け水や土砂降りで、砂礫が移動し岩礫崩壊による植生破壊が今なお続いており植物群落の減少と消滅が進行しております。みなさん山を歩いていて、目線に花が咲いている状況を疑問に感じたことはありませんか?つまり、目線の高さまで登山道の表土がえぐられ侵食が進行しているのです。
さらに雪代期や雨天時は、登山者が靴の濡れや汚れを嫌って登山道脇を歩くため、高山植物の踏み付けが頻発します。気持ちはわかります…。でも、何のために高価なゴアテックスの靴を購入したの?何のためにスパッツを用意したの?
ガイドと同行したことのある方なら経験したことがあるかもしれませんが、時たま歩きやすい登山道脇を避けて面倒な岩盤や砂礫地を歩くことに、疑問を感じたことはないでしょうか?ガイドの歩くルートとは同行者が安全に歩けるルートへ導くだけでなく、植物を極力踏み付けないルートへも誘導しているのです。言葉に出さず黙々と先頭を歩いている様にみえるでしょうが、一歩一歩相当神経をとがらせて歩いているのです。その間、咲いている花や昆虫、鳥をひたすら探し続け、鳥のさえずりに耳を傾けているわけですから、終点に辿り着いた時には目の疲労と虚脱感が猛烈に襲ってきます(そのおかげか、動態視力が異様に発達しましたが)。
とくに至仏山は蛇紋岩地であるため雨が降るとスケートリンク場と化してしまうことから、蛇紋岩を避けて表土のある登山道脇を歩く人が多いのです。結果として蛇紋岩という存在が裸地化を進行させてしまったともいえます。
至仏山は森林限界が低いがゆえ、樹木の枯葉の堆積による保水能力が余り機能しません。そのため一旦土砂降りが起こると登山道は一気に沢へと変貌してしまいます。東面登山道は土砂降りが起きると尾瀬ヶ原からもその様子が確認でき、滝のように水が流れ落ちています。
至仏山がそのような脆い山であるという認識をもったうえで登っていただきたく思います。雨が降れば「花の山」のイメージが一転するほど危険な山でもあるし、それゆえ無謀な登山が植物に与えるダメージが大きいことを理解してください。つまり、蛇紋岩を避けての登山道脇の歩行を極力控えていただきたいのです。