湿原の成り立ちを尾瀬で観察しよう



1、湿原とは?また、その見分け方とは?

2、湿原はどのようにしてできるのか?

3、尾瀬ヶ原の湿原

4、尾瀬ヶ原の湿原の維持

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1、湿原の種類とは?また、その見分け方とは?

 「尾瀬は日本有数の高層湿原」という表現を見たり聞いたりされた方は多いと思いますが、これは決して標高の高い所にある湿原という意味ではありません。地表(湿原)が周りの土地の地下水位より低ければ低層湿原、高ければ高層湿原、両者の中間ならば中間湿原ということです。では具体的に尾瀬を見てみましょう。
 ミズバショウ、リュウキンカ、サワギキョウ、コバギボウシ、ヨシなどが生育しているところが低層湿原といえ、水の流れのある両側の湿原をさします。低層湿原は、山からの栄養分(無機塩類)が常に流れてくるため上記のように栄養を必要とする植物が特に多いのです。場所としては下ノ大堀や六兵衛掘、見晴近辺の湿原など。ただ、水際にミズバショウが咲いているような場所は超低層湿原とでも表現したほうが正確かもしれません。
 ニッコウキスゲ、カキツバタ、オゼミズギク、ヤチヤナギ、ホロムイスゲなどが生育しているところが中間湿原といえ、盛り上がった湿原の斜面や山足の湿原をさします。中間湿原も河川の氾濫などで比較的山からの栄養分を取り入れる立地条件にありますが、基本的には雨水や地下水により潤っています。場所としては研究見本園、牛首〜東電、下ノ大堀川沿い、大江湿原などニッコウキスゲが咲くことで知られている場所です。
 ヒメシャクナゲ、ツルコケモモ、ミズゴケ類、ホロムイソウ、ヤチカワズスゲなどが生育しているところが高層湿原といえ、全体的に盛り上がっている部分をさします。高層湿原は雨水によって潤されているため栄養分が少なく酸性度も高いので、植生もそれらに適応したものに限られます。つまり、目立つ花が群落する湿原とはいえないのです。ここはよく理解していただきたいこと。登山者の多くは尾瀬ヶ原へ行くと一面ミズバショウやニッコウキスゲが咲き乱れていると考えがちですが(広告している写真にも問題はあるが…)、尾瀬は高層湿原が大部分を占めているため花が咲くのは一部エリアに限定されます。
 ただ、幸か不幸か木道が敷設されているため、たとえそこが高層湿原でもミズバショウやカキツバタを見ることができるのです。理由についてはこちらへ

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2、湿原はどのようにしてできるのか?

湿原のでき方には以下の3つがあげられます。
(1)陸化型
(2)沼沢化型(しょうたくかがた)
(3)後背湿地型(こうはいしっちがた)

(1)陸化型

陸化型第一段階

a もともと湖であったところに周囲から土砂(図の茶色部分)が流入し、周辺部が次第に浅くなり枕水植物や浮葉植物、挺水植物が水深に応じて生育します。これら植物の遺体は寒冷地の場合完全に分解されないため、湖底に土砂とともに堆積していきます。

 

陸化型第二段階

b 周辺部からはヨシやオオカサスゲなどの湿原植物が侵入し、これら植物の遺体が堆積するため水深はますます浅くなります。挺水植物のミツガシワは水中に根を張り巡らせるため、その上に泥炭(図の灰色部分)が堆積していってしまいます。このように底に泥炭が堆積してくると、湖というより沼と表現したほうが正しいかもしれません。
 尾瀬沼北岸でこの状況を観察することができます。尾瀬沼を一周されれば分かると思うのですが、南岸より北岸の方が水生植物が多いはずです。これは燧ヶ岳からの泥流や土砂の流入によって水深が浅くなっていることによります。

 

陸化型第三段階

c 沼はさらにヨシやスゲ類の泥炭が堆積していき、水面と泥炭面がほぼ等しくなる低層湿原ができあがります。ある程度乾燥化がすすむとヌマガヤなどが生育をはじめ、泥炭の堆積が更に進行していきます。

 

陸化型第四段階

d その後ミズゴケ類(図の黄緑色の部分)が増えて次第に小丘状に盛り上がると、生育を雨水に頼るようになり高層湿原ができあがります。水色部分は池塘。

(2)沼沢化型(しょうたくかがた)
 地下水が上昇したり、河川の水が自然堤防をすり抜けてしみ出したり、山の傾斜地の下側から水が湧き出すなどして湿気が高まったため形成される湿原をいいます。

a 扇状地の下側から水が湧き出し過湿になったところに湿性植物が生え、泥炭が堆積していきます。

沼沢型第一段階

b 泥炭地は次第に斜面を這い上がるように拡大していきます。そのため、発達している湿原の先端部分にある樹木は次第に枯れていってしまうのです。

沼沢型第二段階

 赤田代の東電小屋、三条ノ滝、見晴分岐の椅子のある休憩所付近は典型的な場所なので観察してみましょう。きっと燧ヶ岳方面のオオシラビソやキタゴヨウが立ち枯れを起こしているはずです。一般に尾瀬ヶ原は湿原が乾燥化し森林化が進んでいるといいますが、このように湿原が発達している場所もあるのです。そのため春先には湿原と森林の境界あたりで小さくて可愛気なミズバショウがみられます。尾瀬ヶ原で一番きれいなミズバショウなのではないでしょうか。

(3)後背湿地型(こうはいしっちがた)
 沼沢化型の一種で尾瀬ヶ原のかなりの部分を占めています。

a 河川が氾濫すると、両側が土砂で盛り上がったり河川自体の侵食により水位が低くなるなどして両側に土手のようなものが形成されます。これを自然堤防といい、自然堤防をはさんで河川と反対側の土地部分を後背地といいます。単純にいえば、河川の両側にある湿原のこと。河川の氾濫によって後背地に水が流入しても自然堤防があるため水が長時間残り、湿潤化していったのが後背湿地なのです。後背湿地の湿気の多い場所にはヨシやスゲ類、浅い水たまりにはミツガシワが生育し泥炭層を形成していきます。この状況ではまだ低層湿原で、次第に泥炭の堆積が進むとヌマガヤやミズゴケが侵入してきます。

後背湿地型第一段階

b ミズゴケが侵入してくると泥炭の堆積スピードも早まり、盛り上がってきます。そうなると泥炭が地下水位を上回り、植物の生育も天水のみとなるため高層湿原となってくるのです。

後背湿地型第二段階

 高層湿原特有のミズゴケーツルコケモモ群落が見られるのは、牛首から竜宮方面に向かった所から池塘に迂回できる木道のある辺り。フカフカのミズゴケの上に真っ赤なツルコケモモが横たわっている姿が見られることでしょう。
 なお、下田代や中田代などに盛り上がっている部分が多数見られ、これが高層湿原だと思われてている方も多いのですが、これは単に泥炭層の基盤が盛り上がっているためで泥炭層がより多く堆積しているわけではないそうです。

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3、尾瀬ヶ原の湿原

 尾瀬ヶ原の湿原形成は昔、陸化型であるといわれていました。つまり現在の尾瀬ヶ原に匹敵するような巨大な「古尾瀬ヶ原湖」が存在し、湖面も只見川の谷底から200m以上はあったと考えられていたのです。そのため古尾瀬ヶ原湖に土砂が流入するなどして湿原へ移行していったと最近までいわれてきましたが、そのような直接の証拠は見つかっていないため現在は後背湿地型をメインに山地周辺に沼沢化型が点在したものの集合体といわれています。
 これを知るためには周りの湿原や植物を見ていては分かりません。ちょっと目線を上げて周囲の山々をグルっと見渡してみましょう。
 見ての通り尾瀬ヶ原は周囲を山々に囲まれており、山裾を眺めてみるとそこには扇状地が形成されているはずです。そのような場所が沼沢化型により形成された湿原です。
 では、目をつぶって想像してみましょう。みなさんの今立っている尾瀬ヶ原は昔、高い山に囲まれた谷底だったのです。そして周囲の山々の噴火による溶岩や土砂が流入することによってたくさんの扇状地がつくられました。これを幾度となく繰り返すことによってそれぞれの谷筋に形成された扇状地がくっつくまでになっていったのです。つまり尾瀬ヶ原とは扇状地の集合体といえます。
 この扇状地の集合体に周囲の川の伏流水や湧き水、洪水などの要因が加わり現在の尾瀬ヶ原ができあがりました。上記2で説明したタイプのうち自然堤防の後背地の氾濫原(後背湿地型)に該当します。
 
この氾濫原である証拠を観察するのに最適な場所は至仏山東面の登山道です。眼下には山ノ鼻の山小屋が小さく見え、左に目をやると研究見本園があります。さらに左を見ると猫又川の氾濫原が広がっていますが、じっくり見ると海岸の波打ち際で良く見られる波状の凹凸がクッキリ現れているはずです。
 まさにこれは河川が氾濫した跡で、上田代の木道上でもその様子が観察できます。

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4、尾瀬ヶ原の湿原の維持

(1)尾瀬ヶ原の雪解け水は、原全体を潤してくれます。

(2)周囲の山々からの雪解け水はさらなる原の潤いとなります。五月の下旬頃には田代(泥田)状態となり、それゆえ、上田代、中田代、下田代と地名がついたのです。

(3)夏のにわか雨や秋の台風などで原は洪水になることがあります。そのときには尾瀬ヶ原が湖のように冠水してしまうこともあるのです。一気に増水してしまうため、登山者が流され遭難騒ぎになるのもこういう時。尾瀬は観光地でなく山であることをしっかり認識していただきたいものです。

(4)周囲の山からの水は、各扇状地の伏流水となって、尾瀬ヶ原の下に流れ込みます。それら伏流水が目に見える形で現れたのが下ノ大堀川や竜宮、泉水田代なのです。

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